「木」は「木」として使いたい。しかし住宅の建築現場を覗いてみると、これが案外、そう「あたり前」の事でもない。大壁(柱や梁が見えない構造)の中で構造材、野材として使うのであれば必要強度さえ満たしていれば、「木」は「木」でなくても充分なのだ。軽量鉄骨のプレファブ造が現実にたくさんの木造建築物と入れ替わっている。又、仕上げ材としても多くの新建材にそのポジションを奪われている。建築材料として、工業化製品の得意とする土俵でその存在価値を確認しようとする限り「木」に明るい未来はない。同時に現在のような「木」の使われ方は、住まい手にとって、もはや木造住宅を建てても「木」の持つ調湿性や蓄熱性、人を癒すと言われる性能などの、木造住宅ゆえの快適性能を充分に享受できない現実であることを意味する。
自然素材はブームを呼び書店の建築雑誌のコーナーには、構造材を意匠に生かした「木」の良さが見事に表現された住宅の特集号があふれている。その優れた特性、特長を意匠にも生かそうという試みは当然であるし、トライしてみたいと思うのも、人がそこで「住みたい」と思うのも当然だ。ところが、現実は思うほど簡単なことではない。 やっとの思いで手がかりを見つけ、試しては見たものの、肝心の「木」の部分が、割れる、曲がる、色あせる。工期は長引く、大工は不満を言う、なかなか思っていたような物は出来ず、挙げ句の果てに大変な高物につき、とうとう堪忍袋の緒が切れる・・・挑戦はしてみたものの・・・冗談のような笑えない話。しかし、これが現実。
「木」を「木」として使う。その為には、彼らをより生かす社会システムを再構築しなければならない。「木」を良く理解し、環境意識を持って辛抱強く「木」を育てる者。それを製材する者。「木」の特性を熟知し、それを建物に生かすことのできる設計者。確かな技能を持ち確実な工務をこなす施工者。それらの者が意思の疎通を良く図り、一つの有機体となって機能してこそ「木の家」は実現する。
そして、川上から川下に一本につながるこのシステムに住まい手が加わって初めて社会的な拡がりができる。住まい手にとって「より良い家を建つ」という行為が、社会資産としても良好な「木の家」を生み、そのことが人と自然の共生に大きな役割を果たす。
このモデルハウスはそんな理念の元に集まった仲間が協同組合を設立し、和歌山県の助けを得て、和風や古風と称され、あるいは一部酔狂な人のためのものと理解されやすい「木の家」に、現在の住宅に必要とされる充分な性能を持たせ、現在人に馴染みやすいデザイン・住まい方の提案をすることで「木の家」の一般化を試み、よって、住まい手の住環境に貢献すると共に和歌山の良好な緑環境の維持に役立たんと建てられたものである。
基本的には地元の山で取れる杉・桧を構造材とした木造民家型工法・・・杉厚板の大量使用と、竹小舞による塗り壁。前後左右・上下につながる可変空間。又、間取りに先行するグリッドにて構築される軸組。機械設備への依存を最小限にするためのパッシブな室内温熱環境への取り組み。外断熱通気工法などの採用を大きな特徴とする。
「住まい」は「住まい手」のためにある。けっして作り手の価値観で構成されていてはならない。TVや雑誌を通じて大量に供給されるお仕着せの価値観に縛られることなく、今一度自分と家族が本当に快適に住まうために何が必要なのかを考えて頂きたいと思う。
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